「もう年だから」「女性だから」負の思い込みを手放そう!

自己肯定感、セルフイメージを上げて行きましょう。

健康に自信が持てず。。

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こんばんは、

セルフイメージサポーターMitsukoです。自己紹介はこちら

病気に振り回されている前回の続きです。

 

結構長い事入院しましたが完治しませんでした。

副作用が激しすぎて。。鳥目だし、毛深いし、顔丸くなるし、体力なくなるし、しまいに骨もろくなるって副作用のほうが酷いじゃん!CPK値下げるのにどれだけ他を犠牲にせねばならんのだ!と思ったら嫌になっちゃって。。薬の量を自分で加減しました。だって他がヤラれちゃうし。。医者の言う通りにしていたら骨が脆くなってしまいます。。少しづつ減らして最後に飲まないようにして副作用を薄めて行きました。

 

今も膠原病のお医者さんにたまにかかりますが二言目にはJ病院って。。もう絶対入院無理だから。。今も数値高いけど手指腕が痛くなるくらいでステロイド系の薬飲まなくても全然平気です。

 

当時は数値が高いのをとても気にしていました。病気も治らないし、仕事にも就けないのでとても辛く、現実は否応無しに自分の無力さをこれでもか!っと見せてきます。多分色々な事から逃げたかったんだと思います。

 

弟が家に帰って来ないのを良い事に今度は引きこもり生活が始まりました。

家にいても苦しかった。。何も出来ない自分が一番苦しいのに家族が攻撃して来ます。やれ仕事探せだの、ぶらぶらするなだの言って来ます。そう言われてもビョーキだし。。

 

親との軋轢に疲れ果てていました。なぜ思い通りに動かそうとするのか?意志にそぐわないと攻撃して来ます。もう降参です。戦う力が残っていません。

 

はい、はーい。そっすか、スンマセーン。ピシャ!(襖閉める音)

 

今なら何とか普通の人になってもらおうと心を砕いていたんだと親の気持ちが分かります。でも一番苦しんでるのは本人で、痛いほど毎日感じている事を家族が不用意に言ってくると憎悪が暗雲のようにもくもくと湧いてきます。一気に闇です。

 

「誰にもわかってもらえない」「誰も助けてくれない」

と言う負の思い込みが又増えて行きました。

 

父は糖尿病で弱視でした。

グルメで私と母が書店で稼いだ金を飲み食いに使います。

糖尿病を治そうとしていませんでした。もう人生終盤になってから目の手術に踏み切りましたが見えるようにならなかったのがショックだったようで一気に弱って行きました。私はずっと付き添いをしていました。嫌いな人の看護付添いはある意味地獄です。。友人は青春を謳歌しているのになぜ自分だけ。。と病苦の父を尻目に自己憐憫に陥っていました。

 

父は気に入らないとワザと看護師さんを呼びます。看護師さんは家族が居るのになぜ呼ぶ?と言う顔をします。ごめん、確かに愛は無かったわ。。私も地獄でしたが父も地獄でしたね。。さーせんしたっ!

 

亡くなる2日前までそんな意地悪をされていたので「今夜が峠です。」と言われてもピンときませんでした。私は器の小さい人間です。今日も店開けなきゃだわと働き者を装い、わざと死に目に合わないように振舞いました。父が亡くなっても憎しみを清算する事が出来ませんでした。

 

弔辞の挨拶で母が「夫は誤解されやすい人でした。」と発した時、あんなに暴力振るわれたのに父の事を理解していたと思うと、隣で遺影を持ちながらびっくりするくらい涙が出ました。

 

一時的に弟が帰って来ましたがジリ貧です。

書店の売上げはどんどん落ち、外へ出て仕事を探さなくてならなくなります。

引きこもっていられなくなりました。でも母は期待してなかったと思います。

でも自分は今度こそ家族を助けようと思っていました。

まだ続きます。。

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